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暴力の自明性-クラウゼヴィッツ

クラウゼヴィッツは、主著「戦争論」の冒頭において二人の人間が決闘するという事から書きはじめ、戦いとは暴力によって我が方の意思を強要する行為であることを論じた。これを裏返すと、人は暴力により意思を強要されるという事が自明となっている。

確かに、我々は経験的に、人は殴り飛ばされれば、もしくは殴り飛ばされる脅しを受ければ、相手の意思に屈服するか、自らも暴力を行使し(警察を呼ぶというのも警察という暴力を使う行為である)意思を強要されないようにするものと認識している。つまり、暴力による意図の強要可能性というものを自明のものとして信じている。また、なんだかんだ言っても、近代国家の権力というのは、まさにこの暴力による屈服と支配というものに最終的には依存している。

ただ、よく仔細に観察すると、これが自明であるということについての、いわば信仰というものがある事に気づく。例えば、暴力装置と呼ばれる軍隊は、指揮命令系統とそれに対する信頼が無ければ、つまり兵士が反乱や士気崩壊を起さない為の何かが無ければならない。その意味では、指揮と士気の問題というのは、単に効率の良い戦いの問題以上に、暴力装置たる軍隊の本質の問題に関わってくるはずである。
また、非暴力・不服従という概念も、この人は暴力により意思を強要されるという考えに対し、大きなアンチ・テーゼになる。

暴力の自明性について、再考してみる価値があるのではないか?

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